3月11日 仙台

今年の3月11日、何をしていましたか?

12年前の3月11日は何をしていましたか?

私は、12年前仙台中心部で被災しました。仙台市内の揺れはひどかったのですが、スマホでの津波ニュースのほうが怖かった記憶があります。被災直後はメールも通じたし、仙台市内の家族の無事も確認できたし、問題はどうやって家に帰るか程度だと、軽く考えていました。

震災直後に仙台駅に寄ったら、バスが来ないのに人が並んで待っていたり、寒くて暗い中不気味でした。早々にあきらめて、住まいのマンションに向かって歩きだしました。途中道路は渋滞で、歩いたほうが早いといった気分のほうが強くて、一時的には雪が舞っていたような気がしましたが、歩き出してからはさほど天気も悪くなかったような気がします。

帰る途中に地下鉄旭ケ丘駅あたりのバスターミナルを通過したのですが、道路にひびが入っていたり、水道管が破裂したらしく水が漏れていた記憶があります。それ以外はあまり人にも出会わずに、一時間ほど歩いてマンションにつきました。

マンションの部屋に入ると、悲惨の一言でした。部屋の中は、家具はめちゃくちゃだし、ガラスらしき破片もそこら中にあるし、手が付けられないとはこういう状況なんだろうなという気がしました。家族は近くの小学校の体育館に避難していたので、マンションからは早々に引き上げました。

小学校の体育館は、人が多くて家族3人で2畳程度の場所を確保するのがやっとでした。ただ、娘の友達が焼いたというクッキーをいただいたり、平和な記憶しかないです。もちろん停電中だったので、暗くなるにつれて体育館も暗くなっていったのですが、夜中に非常電源が届き、電気がついたときは、みんなで喜んだものです。

夜中になっても寝れるわけもなく、外に出たら、仙台港がとても明るいほかは、星空がきれいでした。真っ暗だと仙台の夜空もまんざらではないなと思いました。こんなことを思い出すのも311ならではですね。ではまたネコ。

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